安心のリンパマッサージ

 だが一方で、この章の冒頭でも説明したように、国が保険適用をまだ認めない最新治療法や、未承認の医薬品などは保険外の診療(これを自由診療と呼ぶ)とみなされ、治療代全額が患者の負担となってしまう。
しかも医療法上、自由診療と保険診療を臨機応変に組み合わせ、患者の命を助ける「混合診療」は認められない。
これ自体、がん医療の進歩とは裏腹に、時代遅れな「日本社会のルール」と呼ぶしかないだろう。
 その結果、がん患者のH氏は法外な金銭的負担を余儀なくされる。
言ってみれば、毎月六一万円の出費は、がんと共に生きるための「必要経費」であ勺、「命の値段」なので ある。
がん発病から再発まで  H氏は、一九四四年生まれ。
地元宮崎の県立高校を出て、いまの会社に就職したのが一九六三年(昭和三十八年)のことで、当時、初任給は一万一三〇〇円だ。
 一方、国民皆保険制度が実施されたのは六一年のこと。
同じ世代のサラリーマン全員がそうであるように、H氏は、初任給一万一三〇〇円の時代から今日まで四十年間にわたって健康保険料を毎月払いつづけて来だ一人である。
 五十二歳の夏、がんの兆候があらわれた。
便に赤い血が混じり、最初は〈痔かな〉と軽く考えていたのに、検査の結果、「お尻から人差し指の先くらい」の直腸部分にがんがで きていたという。
 ただ最近は、大腸がんにかかる日本人が一気に急増し、ざっと年間五万人だ。
しかも、大腸がんは治りやすいがんの一つだ。
県立病院で受けた手術が成功し、九八年三月、職場復帰が無事かなったときに、本人が「がんは治った」と信じたのは必ずしも間違いではなかった。
 「うちの家内もそうでしたが、私は『手術で治る』と考え、そう深刻には受け止めていなかったんです」  一年半後の一九九九年夏、がんは再発した。
ちょうど五十五歳定年を翌年に控えた時期だ。
再発したがんは肝臓と肺への転移が数ヵ所見られ、その進行度は「ステージW」と診断されていた。
この時期に、がん発病から再発までの経緯を綴った本人メモがある。
H氏が職場のパソコンで綴ったものだ。
・私は平成九年八月頃から大使時出血し、終わったあとも何となく便が残っているような感じがつづき、痔が悪くなったと思っていました。
同年十月、久留米から宮崎に転勤となり、十二月に県立M病院で検査を受けた所、お尻から人差し指くらいの所に悪性腫瘍ができていました。
・平成十年一月に入院し、いろいろな検査を受け、同年二月四日腫瘍摘出手術を受けまし自腹でがんと闘う試み一混合診療のケーススタディでした。
また入院時の説明で腫瘍の場所が肛門に近いため人工肛門しかないということで納得しました。
手術後の十日目、下腹が痛くなり同月十四日腸閉塞ということで二回目の手術を受けました。
(略)入院中、不安と痛み、熱等で痛み止め、睡眠薬を常用するようになりました。
・同年三月十四日退院し、自宅療養をはじめました。
毎日昼間は河川敷をIキロ程度歩きました。
同月三十日より会社に半日勤務をし、午後三時までの勤務になり、やがて一日勤務に戻りました。
・初回治療後の定期検診は二週間に一回、県立M病院で問診と薬(経口抗がん剤UFT、腸の元気を出す漢方薬)。
別の病院で問診と薬(精神安定剤、抗うっ剤、睡眠薬)をつづけていました。
・平成十一年八月、会社の健康診断を受け、肺に今までなかった影があるということで県 立M病院で再検査を受けました。
検査の内容は腹部エコー(超音波)、胸部X線、CT、大腸内視鏡、血液検査でした。
検査結果、肺一個、肝臓一個に影がありました。
大腸内視鏡は異常なしでした。
メモが物語るように、再発がんは当初、肺と肝臓への小さな転移が見られた。
初回手術以来、二週間に一回の定期検診を欠かさず、医師が処方する経口抗がん剤UFTはきちんと服用してきたのに、まさかのがん再発だ。
手術ぱ一度断ったが、わずか数ヵ月後には肝臓の転移がんが二個に増え、また、左肺に二個、右肺にも小さな転移が三個みとめられたのだった。
再手術を受けるべきか  これからどうしたらいいのか。
県立病院の担当医ぱ、「手術をすれば治る可能性はある」と再手術をすすめた。
世間一般の常識では多くの再発患者が医師の言うとおりにするかもしれない。
そのときH氏は担当医と次のような会話を交わした。
 「今回の手術では、どのくらい切るのですか」  「肝臓と肺にがんの転移があるので、これらの病巣をすべて取る予定です。
したがって、今回は大きな手術になります」  その担当医の説明によると、肝臓と肺の転移病巣を摘出するのに、右のわき腹から左肺部分までメスを入れなければならないという。
そう聞いて患者本人には別の不安が膨らみはじめたのだ。
 今回のがん手術を受けたとして自分のがんは本当に治るか。
すでに肝臓と肺に転移が見られる以上、目に見えない「がんの芽」が他にいくつもあるんじゃないか。
それなら大手術の意味はない。
大体、手術のたびに体力が落ちて仕事に打ち込むこともできず、ゴルフも楽しめないようながん人生など真っ平ごめんだ。
 しかし、自分の命はどのくらいもつか。
このまま何もせずに放っておいたらがんは間違いなく大きくなっていくに違いない。
やはり手術をするほうがいいか。
眠られぬ夜を幾夜も過ごし、H氏は人生の真実みたいなものに思い当たったという。
 人間、だれしも限りある命だ。
長く生きても百歳まで生きられる人はそう多くない。
まして現役人生は五十歳がひとつの区切りだ。
自分は五十歳なかばで再発がんと向き合う境遇になった。
それなら、あとの残り時間を「余生」と考え、精一杯生きてみよう。
 「私の場合、会社ではいい上司と部下にも恵まれ、夫婦ふたりだけの家庭生活も平和で幸せなものです。
そして、がんと闘う私の今は生かされている命です。
一日一日を充実して過ごしてみようと腹をくくったんです」  これで気持ちがひとつ吹っ切れた。
生きる道は未承認薬  じつは私が、H氏と顔を合わせるのはその時が最初ではなかった。
二〇〇〇年夏の初対面の夜、金銭的な問題についてH氏は多くを語らなかったように記憶する。
その後、 H氏の上京に合わせ、私は二度、三度と病室を訪れることになった。
彼は、三種類の薬を常用していた。
降圧剤アピノラクトンのほか、睡眠剤レンドルミン、精神安定剤セルシン。
睡眠剤と精神安定剤は、がんの恐怖と不安から不眠症の傾向が強まったからだと言った。
 このとき、H氏が楽しそうな顔で語ったのは仕事の話だ。
電話回線のトラブル修復が三十年来の職務だそうで、この道ではプロ中のプロだ。
ベッドで点滴治療中の彼が職場のエピソードをいろいろと明かしてくれたこともあった。
 私ぱ一度だけ、その本人に向かって大変聞きにくいことを口に出した。
 「がんとは、どんな病気ですか」  「いったい、何でしようね、これは」  と、H氏ぱしばらく考えた。
大きな転移病巣を肝臓の内部に抱え、がんが左右の肺へも転移していた。
数十秒後、彼が言った。
 「(がんは)外からは見えない病気です。
本当に痛くも蝉くもない。
それで画像検査をしたら、『進行している』と言われる。
ま、悪魔が私の身体に棲みついた。
そういう言い方しか思い浮かびません」  持ち前の性格なのか、その言葉のもつ重さにもかかわらず、どこか吹っ切れた顔つきであった。
さらに、H氏は言葉をつづけた。
 「こういう病気は、風邪や盲腸とはわけが違うんです。
がんの勢いを止めないと私はどうなると思いますか」  少し間をおき、彼は言った。


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